こんにちは。日本共産党八尾市議会議員 田中裕子です。
[2016.3.4] -[活動トピックス]
山城公園の個人質問を終えました。総括、到達については、速記録を分析してから報告をしたいと思います。
まずは感想。編集後記。
今回の質問には、、まずこどもの思い、地域の思いを第一にと考えました。切実な要求があるからこそ行政は動かなくてはいけないと思うからです。
その点では子育て中のお母さんが子どもたちやパパ、ママ、じいじ、ばあばの声を集められたのが今回の質問の一番の力になりました。
こどもの時分に公園とともに育ち、子どもができてからこどもと公園で遊ぶ長年愛されてきた公園の姿が浮き彫りになりました。
この公園ができて道路でキャッチボールをして叱られていた子ども達が公園でおもいっきりボール遊びをした40年前の思い出を寄せて下さった方もいました。
こどもたちは「近い公園がなくったらいやだ!他の公園は遠すぎて、道が危ない!」「毎日、夏も冬もだれかが遊びに来ている」「ゲームよりも公園がいい!」「サーカーの聖地」「僕らの夢の場」とつぎつぎと思いが寄せられました。
この声、声がなければ今回の質問は成り立たなかったと思います。
ところが市長はこの声を集めたことに対して、なんと”不安をあおっている”と言い放ちました。
ここまでひどいとは思いませんでした。都合が悪くなったら、市民を攻撃する・・・。あらゆるところで追い詰められている証拠ですね。
今回の質問にあたり、決定的な発見もありました。
質問原稿を提出し、答弁書が返ってきます。その答弁書にそのヒントがあったのです。
緑の基本計画。漠然と目は通していたつもりですが、答弁書であまりにも強調するので、議会図書館から引っ張り出してきて再度すみからすみまでチェック。
すると最後の付録の図表にひっそりと書かれていた図が・・・。
「ん?未整備公園?なんじゃこりゃ?。」
よく調べてみると、八尾市内に18か所も未整備公園がある。
前のページと照らし合わせていくと、今まで聞いたこともないような事実がでてきました。
都市公園には配置基準があって、(小学校区に4つの公園など)配置の方針まであって、公園が不足している地域には確保するように努めていく計画があるとうことを・・・。
こんなこと担当課の職員にも聞いたこともない、かくしていたのか、忘れていたのか、とにかく新事実!
つまり、八尾市には整備しなければいけない公園が18もあるのに、その未整備公園を補完している児童公園(民地をお借りしている公園)は、いずれ返還しなければならない。
八尾市民1人当たりの公園面積は久宝寺緑地を除いて1.67㎡、大阪府下平均の5㎡にくらべ大幅に少なくなっています。(八尾市は公園少ないなあは事実だったんです!)
整備しなくてはいけない公園がいっこうに進まないからです。答弁は「メドがたたない」でした。
にもかかわらず、減り続ける児童公園・・・。
この問題は、いずれ表面化することは市役所は知っていたはずです。
しかも平成23年には、松山児童公園は無くなり、山城児童公園も土地の返還が申し出られているのです。
この時点で政策課題として正面からこの問題に取り組むべきでした。
今からでも遅くはありません。公園を減らさないためには、どうすべきか早急に手立てを考えるべきです。
山城公園に当たっては、やはり土地の買収など具体的な手立てが必要です。
「土地を返す、返す、返す、返さないと失礼だ!」と意味不明のことを答弁で繰り返しておられましたが、では、土地の所有者から「では土地を買ってもらえますか?」と申し出が仮にあった場合は土地を買収するのですか?
財政難と言って断るんでしょう?
では、今回土地を買収する曙川小学校区の公園はなぜ財政難なのに可能なんですか?
半分が国の補助がでると言っているが、半分は市のお金でしょ。
2億円は市が独自にだすんですよ。
2億円あれば、山城公園の半分は買えますよ。
矛盾だらけの山城公園の対応。地域に説明がつきますか?
「借りた土地は、返さなければいけない。」ではもう通用しません。
用和地区は、北本町4丁目に”北本町第二公園という幻の未整備公園があります。
未整備公園があった場合に公園不足地域についてはその解消に努めるとみどりの基本計画には記されています。
今まで山城児童公園がその役割を果たしてきました。この公園を返還したら、どのように未整備公園の解消に努めるのでしょうか?
その具体的な提案は、地域が出すのではなく行政がださなくてはなりません。
今回は、視覚的に訴えるために資料を作成しました。手作りの不器用な力作!!
当日の質問の最後で、時間オーバー。私はとっさに捨て台詞をはいたそうです。(あまり覚えていない。)
「この問題は一生追求します。」と
すると後から質問された、他の会派の議員さんも「ぼくも、最後まで質問します。」と決意表明をされていました・・・。
「最後っていつまで・・?」と思いながら、「私も一生議員やってるかどうかわからないのに、なんであんなことを口走ったのだろう。」と思いました・・・。
引き続き闘います!