こんにちは。日本共産党八尾市議会議員 田中裕子です。

戦争史跡や資料をどう次世代に”つなぐ”のか 八尾の戦争展と戦争遺跡  忘備録2

[2017.9.8] -[活動トピックス]

今回の個人質問では、一回目の質問と答弁でとどまった、平和の問題。12月議会ではぜひ続きを取り上げたいと思っています。

この質問調査のために、平和委員会兼八尾の戦争展の実行委員会の中心の方や八尾の戦争史跡を本にまとめられた方に直接お話を聞かせていただきました。

八尾市歴史民俗資料館、久宝寺小学校の郷土資料室などに戦争に関する文化財や資料を見せていただきました。

新たな分野への挑戦だったので、新しい出会いや、知識の広がり、学ぶことがたくさんあり、世界が広がった思いです。この仕事冥利につきます。

戦争展の立ち上げの時からかかわっておられる方から戦争展のきっかけとなったお話をお聞きしました。

平和教育に取り組むなか、当時八尾市内の旅館に特攻隊の方が遺書を残しておられ、その身内の方と旅館の方が出会うという感動的な始まりだったとお聞きしました。

民主的な教育・反戦平和の立場に立った教育活動が大きく広がり戦争展の企画に結び付き、調査活動、展示を続けて来られ、パネル展示だけにとどまらない八尾の戦争展の特徴だそうです。

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たくさんの調査資料の蓄積や戦争展に寄せられた資料なの一部を見せていただきました。テレビでも取り上げられたものがあります。

しかし一歩で課題もあります。この戦争展を若い世代にどう引き継いでいくのかということ。そして、膨大な調査資料や戦争中の物品などの保管管理です。

現在は個人で保管をしていますが、もし私に何かあったときはと心配されていました。

また、八尾には「日常の中の戦争遺跡」という本を書かれたかたもいらっしゃいます。この方にもお会いしてお話を聞かせていただきました。

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高知で開かれた第21回戦争遺跡保存全国シンポジウム高知大会にも参加され、報告もされていました。

八尾市内の垣内の掩体壕や対象飛行所、久宝寺緑地の話など聞かせていただき、現在の都市計画や街並みそのものが戦争当時の影響で成り立っていることがよくわかりました。

平和な時代だからこそ、戦時中の軍事目的の道路や緑地がくらしに役立っているんのだと思います。

お隣の柏原市の玉手山公園の当時軍部が大正飛行場から物資などを運び隠すための大穴など最新の調査も教えていただきました。(どんづるぼうにはもっと大きな本土決戦に備えた洞窟がつくられたことなども)

掩体壕についても劣化をどうとめるか、どうすれば保存できるか、いろいろ考えておられました。

戦争遺跡の保存と活用は今後の課題です。

「ところでこの前の市政だよりの北朝鮮のミサイルの避難の仕方がのっていたでしょう。あれは80年前とちょうど同じことを言っているんですよ。防空法なんです。」とおっしゃっておられました。

なるほど、ぶきみな広報と感じていたが、そうだったのか。戦争への対応であることがはっきりとわかりました。しかし防空法は国民の命は守れませんでした。

「戦争を抑止するルーはがないですからね。」とも言われていました。

ほんとにそうです。だからこそ、直接対話と憲法9条の立場が必要だと思いました。

憲法9条の立場は、戦争をしないためには軍隊すらもたない!これが世界のルールとなる日が来ることを願います。核兵器禁止条約はその第一歩ですね。

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これは、八尾図書館で八尾市での戦争に関する図書を調べてもらった一部分です。参考になりました。

次は歴史民俗資料館と久宝寺小学校へ訪問したことの報告をします。(続く)