こんにちは。日本共産党八尾市議会議員 田中裕子です。
[2025.8.15] -[インフォメーション・活動トピックス]
少し遅くなりましたが、6月議会の質問で戦争遺跡と平和の問題を取り上げました。終戦記念日の思いと重なる部分を紹介したいと思います。
動画配信は、こちらをご覧ください。→ 6月議会 個人質問 戦争遺跡・自衛隊基地拡張・万博遠足熱中症
八尾市内にある垣内の掩体壕などの戦争遺跡の保存活用を求める請願も議会に提出をされ、その問題を取り上げました。
実は八尾は戦時中に大正飛行場という軍事施設があり、豊かな農地がサーベルと銃剣により二束三文で奪い取られ拡張された歴史があります。
その面積は実に現在の八尾空港の3〜4倍へ。(下記図参照)
その建設には徴用工も存在したと伝えられています。
戦後農地返還運動によって現在の八尾空港の大きさに。まさに戦争によって奪い取られた土地が、日本国憲法の元で市民の運動と働きかけで返還されたのでした。
この辺の経過ついては、八尾市史にも詳細が記されており、今回の私の質問に対し大変丁寧な答弁もありました。
八尾市民の歴史をしっかりと捉えた答弁に対して感謝を申し上げたいと思います。
ところが現在の八尾空港ですが、自衛隊基地が隣接をし、土地利用規制法の対象空港にもなっており、その監視範囲が以下の図です。
この図を見ていただいてもわかるように、まるで歴史の逆行ですね。
しかも自衛隊基地の拡張が狙われており、かつての八尾が軍都であった歴史が再び繰り返されようとしてるのではと危惧を感じています。
また、国民保護法に基づく机上訓練が昨年の11月に行われており、山手に某国から弾道ミサイル等が発射されたことを想定した訓練が八尾市役所内で行われていました。
内閣府のHP より → 八尾市役所内 国民保護法 訓練
私たちの住む街も戦場だった。侵略戦争を進め植民地支配を広げるために戦力を増強するために、地域の農地も奪われて作られていった未完の軍都。
あの戦争の加害性とともに、その刃は国民にも向けられ、土地も根こそぎ奪い取られた歴史をひしひしと感じました。
戦後80年、終戦記念日にあたって、日本共産党は談話を発表しています。 → 日本共産党戦後80年談話
戦後あの戦争に無反省の勢力が政権の中枢に居座り、今度はアメリカと一緒に戦争する国へと邁進していること、今回参議院選挙でいっきに拡張した極右・排外主義の流れを生み出す一因にもなっていることを指摘しています。
決して一過性の潮流ではないことを肝に銘じなくてはと思いました。
また、国民の苦難は自民党政治の歪みにあって、その歪みを正すにはこの政治そのものを終わらせるしかない…そのためには日本共産党の出番なのに力がちっちゃーいーことに焦りを覚えながら…日々活動をしています。
ぜひ、しんぶん赤旗をお読みください!
また、日本共産党の綱領をお読みいただきたいと思います。
追伸。
15日付のしんぶん赤旗日刊紙は大変読み応えがあります。
韓国併合から中国・アジアへの領土拡大まで、当時の大日本帝国の三国同盟を経ての野蛮で無謀な戦争の道を歴史の史実を辿って紹介しています。
これは日本人として知るべき歴史だと感じました。この歴史を知らずして世界では通用しないでしょう。特にアジア諸国では。ましてや捏造や賛美は論外だと感じました。
[2025.8.7] -[インフォメーション・活動トピックス]
今年は娘たちと一緒に8月5日にヒロシマへ。現地の移動の負担を考えて車で行くことにしました。朝6時に出発、帰宅は深夜2時。
今回の目的は、事務所で集めた折り鶴を貞子さんの像へ届けること。
選挙期間中に事務所の前に設置した「あなたの手から平和の願いを」の折り鶴を納めてきました。高校生がスマホで折り方を見ながら追ってくれた折り鶴。貞子さんに届けたよ!
そして、どうしても行きたかった3か所に向かうことでした。
①
グランドゼロ(爆心地)の土饅頭と供養塔。平和公園の中にあります。小学5年の国語の教科書に載っている「たずねびと」にでてきます。娘がこの教材を子どもたちがどうすれば実感を掴むことが現地を見たかったということです。
たずねびとの音読 YouTube
土饅頭と供養塔。当時身元のわからない遺骨が納められています。
その数は、約7万柱とも言われています。
いまだ身元を探していますの張り紙がされています。
なぜなのでしょうか。
それはこの地点が広島の中心地の繁華街であり住宅街だったからです、
戸籍も何もかも消失しているので、誰がここで生活をしていて、誰が命を奪われて、誰がどうなったのか、死を迎えても人間としての最後を迎えることができなかった人たち。
それが戦争であり、原爆であるとつくづく思い知らされます。決してみなさんを忘れない!
②
先月亡くなった被爆者で語り部をしておられたすずこさん。94歳でした。覚悟をしておられて、語り部の原稿をまとめて原爆追悼記念館や日本共産党の事務所にも届けておられました。
詳しくは、かつての私のブログを参照にして下さい。
ゆうこのブログ 被曝体験をどう引き継ぐか(2022年)
今回は、この体験にも出てくる公園を探しました。連日遺体が焼かれたという所です。
地図を追って公園に。供養の碑があったのでこの公園だとわかりました。80年経った今も忘れられない記憶なんですね。
今は、子どもたちが楽しく遊んでいました。平和ならではですね。
③
御幸橋。NHKの特集番組で原爆投下直後の写真をカメラマンが撮影していた。写真からは音や臭い声まで聞こえてきそうです。資料館にて。
現地に向かう。見つけたこの橋だ!今は通勤や通学の人々が行き交う橋。今から80年前の今、この写真のある光景が広がっていた。
本当に自己満足の勝手に平和ツアーです。でもどうしても見にいきたかった。被曝体験をどう伝えていけばいいのか。平和のバトンを引き継ぐために。
最後に番外編。昨年、ヒロシマに行った時にもよった巴里食堂。とっても活気があって美味しかったので、今年も寄りました。昨年と同じ席に!
晩ご飯は高速道路のサービスエリアで尾道ラーメン。本場の味だった!
その後車内でオンライン会議に出席をして、大阪に帰ってきたら娘の買い物でドンキに付き合い、自宅に帰ったら深夜の2時。
そのまま眠って朝8月6日の朝宣に行きました。
かなり疲労こんばいの顔⁉️