こんにちは。日本共産党八尾市議会議員 田中裕子です。

今年もヒロシマへ。8月5日 グラウンドゼロ、先月亡くなった語り部さんの被爆地、そして御幸橋へ。

[2025.8.7] -[インフォメーション活動トピックス]

今年は娘たちと一緒に8月5日にヒロシマへ。現地の移動の負担を考えて車で行くことにしました。朝6時に出発、帰宅は深夜2時。

 

今回の目的は、事務所で集めた折り鶴を貞子さんの像へ届けること。

 

選挙期間中に事務所の前に設置した「あなたの手から平和の願いを」の折り鶴を納めてきました。高校生がスマホで折り方を見ながら追ってくれた折り鶴。貞子さんに届けたよ!

 

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 そして、どうしても行きたかった3か所に向かうことでした。

 

 ①

グランドゼロ(爆心地)の土饅頭と供養塔。平和公園の中にあります。小学5年の国語の教科書に載っている「たずねびと」にでてきます。娘がこの教材を子どもたちがどうすれば実感を掴むことが現地を見たかったということです。

 

たずねびとの音読 YouTube

 

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土饅頭と供養塔。当時身元のわからない遺骨が納められています。

 

その数は、約7万柱とも言われています。

 

いまだ身元を探していますの張り紙がされています。

 

なぜなのでしょうか。

 

それはこの地点が広島の中心地の繁華街であり住宅街だったからです、

 

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戸籍も何もかも消失しているので、誰がここで生活をしていて、誰が命を奪われて、誰がどうなったのか、死を迎えても人間としての最後を迎えることができなかった人たち。

 

それが戦争であり、原爆であるとつくづく思い知らされます。決してみなさんを忘れない!

 

 ②

先月亡くなった被爆者で語り部をしておられたすずこさん。94歳でした。覚悟をしておられて、語り部の原稿をまとめて原爆追悼記念館や日本共産党の事務所にも届けておられました。

 

詳しくは、かつての私のブログを参照にして下さい。

 

ゆうこのブログ 被曝体験をどう引き継ぐか(2022年)

 

今回は、この体験にも出てくる公園を探しました。連日遺体が焼かれたという所です。

 

地図を追って公園に。供養の碑があったのでこの公園だとわかりました。80年経った今も忘れられない記憶なんですね。

 

今は、子どもたちが楽しく遊んでいました。平和ならではですね。

 

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御幸橋。NHKの特集番組で原爆投下直後の写真をカメラマンが撮影していた。写真からは音や臭い声まで聞こえてきそうです。資料館にて。

 

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現地に向かう。見つけたこの橋だ!今は通勤や通学の人々が行き交う橋。今から80年前の今、この写真のある光景が広がっていた。

 

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本当に自己満足の勝手に平和ツアーです。でもどうしても見にいきたかった。被曝体験をどう伝えていけばいいのか。平和のバトンを引き継ぐために。

 

 

最後に番外編。昨年、ヒロシマに行った時にもよった巴里食堂。とっても活気があって美味しかったので、今年も寄りました。昨年と同じ席に!

 

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晩ご飯は高速道路のサービスエリアで尾道ラーメン。本場の味だった!

 

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その後車内でオンライン会議に出席をして、大阪に帰ってきたら娘の買い物でドンキに付き合い、自宅に帰ったら深夜の2時。

そのまま眠って朝8月6日の朝宣に行きました。

 

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かなり疲労こんばいの顔⁉️