こんにちは。日本共産党八尾市議会議員 田中裕子です。
[2023.8.19] -[インフォメーション・活動トピックス]
さあ、党勢を1.3倍返しで負けてなるものか!
選挙が終わって、改選後の議席が後退した中での議会も経験し、到達と対決点を全戸配布の団ニュースにした。今支部が酷暑の中、工夫をしながら配布をしている。
いよいよ闘いの正念場だ。その前にやっておくことがあった…。
子ども達は夏休み。通常の活動はできない( ; ; )。食事や遊びや勉強や、全部不十分だけど目配りが必要だ( ; ; )。
そして私自身の夏休みの宿題が…。
出会いは一冊の本だった。「占領期の性暴力ー戦時と平時の連続性から問う」芝田英昭著
性暴力と人権の関係性から占領期の国策売春施設の設置と国や警察の関与、日本の公娼制度と占領下日本における米軍性政策の展開、その政策が今の売買春や性産業、考え方に直結していること。
あくまでも知識として身につけようと思って読んでいた。ところが、八尾自衛隊駐屯地の拡張問題で八尾空港の歴史的経過を調べているうちに衝撃的な事実にたどり着いた。
戦後八尾に占領軍(ほぼ米軍)が当時の阪神飛行場(現八尾空港)に宿営し、ほぼ9年間駐留。多くの痕跡を残していた。
私は、特にジェンダーの視点からこの痕跡を分析する必要があると感じた。そしてその分析は、戦後の占領期から朝鮮戦争に至るまで、性暴力の事実と日米合作の性政策の事実が地域に刻まれていたことがぼんやりとわかってきた。なんと奥が深い。私一人では抱えきれない。
この事実を追うには、八尾における占領軍の実態をつかむ必要がある。
郷土歴史研究家の方が初期に八尾に進駐した米軍98師団のことを詳細に調べておられた。
大正小学校の教職員の皆さんが地域での戦争の歴史を調査し本にまとめておられた。
八尾平和委員会が当時の証言も集めておられた。
また、八尾図書館の司書さんは非売品の志紀の昭和60年史という本を探し出してくれた。
市役所では当時の航空写真も所蔵しているらしい。
ただいま分析中。
占領軍は9月の終わりに和歌山から上陸して大阪を目指し、司令部は大阪市内に置き、主力部隊を4ヶ所に配置。その中に八尾の大正飛行場(現八尾空港)が位置づけられていた。
八尾に入った部隊は米軍98師団、武装解除を行った。その詳細は郷土歴史研究家の方が詳細に調べておられた。この部隊は140日八尾に駐留するが、その後名古屋から別の部隊が移駐。
最初はテントをはって野営をし宿舎を切望していたようだ。当時軍需工場を接収し、大正飛行場の近接地を宿舎としたという証言もある。(2カ所?)
気になったのは、その周辺の動きである。全国で米軍対策の特殊慰安施設が占領直後に作られた。
八尾の米軍駐留地周辺でも少なくとも何かあったようだ。
それぞれの資料や証言から2カ所が浮かび上がってくる。しかし名称はバラバラだ。カントリークラブと表現していたり、キャバレーだったり、100人近くの女性が朝夕になると集まってきたとか、接客宿だったなど。ただ場所は特定されている。
また、証言では、米軍による性暴力や住宅地で米軍相手に交渉をもつ女性もいたなど残っている。
”風紀の乱れ”と記録には残っている。
また、1952年(S27)にはサ条約の発効によって、外国軍は撤収するはずが安保条約によって引き続き米軍が八尾に駐留し、朝鮮戦争に出撃をしていたことがわかった。後方輸送の基地としてヘリコプター輸送部隊が駐留をしていたらしい。
そして八尾では、1953年(S28)に米軍対策のための風紀取締条例が制定されている。当時の議事録が書庫に残っていた。ただし今の売春防止法と同じく限界性のある内容になっている。全国で朝鮮戦争時に基地売買春がピークを迎えるが、八尾でも条例を作る必要があったようだ。
昭和29年5月に米軍が移動し、そして自衛隊が駐屯し、民間使用が再開される。ここで幕を閉じる。
本当に幕が閉じたのだろうか?
女性の尊厳が踏みにじられてきた歴史の事実が、このまま「そんなこともあったようですね〜」と忘れさられていくのだろうか?
地域で起きたことをジェンダーの視点で捉え直す必要があるのではないだろうか。
そして戦時と平時の連続性から今の女性の尊厳の捉え方、性暴力、性産業のあり方を問い直す必要があるのではないだろうか。