こんにちは。日本共産党八尾市議会議員 田中裕子です。

能登の支援(ボランティア)に行ってきました。 能登ボラ ①

[2024.8.22] -[インフォメーション活動トピックス]

今回、ようやく念願の能登へのボランティアに行くことができました。

 

車で支援物資を積んで、向こうでも長時間の移動を想定していたので、運転手の複数確保が課題でした。そのメンバーがそろったので実現。

 

私と柏原市議の江村淳、介護職場に勤める現役父ちゃん、あとお二人合わせて計5人で!

 

車では、高速無料化を使い約5時間ほど。羽咋市の共産党が中心となっている支援センターに向かい、午後に着。

 

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センターに持ってきた支援物資と義援金をお渡しし、今度は車に支援物資を詰め込んで穴水町の仮設住宅を訪問。

 

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途中から、道路に損傷や家にブルーシートが目立つように…。

 

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えっ、みんなびっくり!でも翌日の輪島に比べたらまだ序の口でした。倒壊した家屋をどうしていくのか、まだその段階のようです。

 

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ここでの仮設住宅は28戸。お米とお水と梅干しを持って訪問し、ご要望や思いなど聞かせていただきました。こぼれるるようにお話があふれてこられます。

 

「お困りのことはないですか」「大丈夫ですよ」と答えられますが、隣にいた友人の方が、「何言ってるの!今までない初めての経験をして、困ったことばかりじゃないの。どんどん話した方がいいよ」とおっしゃってくれました。

 

「将来の見通しが立たないのが不安です。2年後のめども今は全くたっていません」と。「共産党の国会議員が、2年後も引き続き入居可能だという答弁を引き出していますよ。必ず出て行かなくてもいいですよ。今はゆっくり体を休めてください」とお伝えしました。

 

この仮設には、ろう者のご兄弟が住んでおられました。隣近所の方が教えてくれました。「あいさつはしてるけど、コミニケーションは取れてないの」と。

 

ちょうどいらっしゃったので、ほんのわずかな手話と身振り手振りでチャレンジ。『家が潰れた』とおっしゃっておられるのがかろうじてわかりました。筆談も困難、口話も困難。

 

なんとか指文字で私は大阪から来ましたとお伝えしたら驚いておられました。入居時には手話通訳さんが来られていたとか。支援センターから、地元の社協には情報提供をしてもらうことにしました。

 

どこでも喜ばれたのは”梅干”し。和歌山から送られてきた物資だとか。「今年は梅をつけることができなかったから嬉しいわあ」と大変よろこんでおられました。

 

買い物は車での買い出しが必要。コープに週一回配達をしてもらっている人も。区長さんが訪ねてきてくれる。知り合いがたくさんいたからここの仮設でよかった。などなど日常の生活のことなども聞かせていただきました。

 

この日の夜は、支援センターのすぐそばのお宿に素泊まり。車で10分ほど行くと大きな浴場もあり疲れを癒やしました。

 

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団長はいちを私ですが、真の隊長は真ん中の京子さん!

この間、何度も能登に来られてるとか。仮設訪問でも本当に心のこもった聞き取りをされており、お手本にさせていただきました。

どこまでもついて行きます!

 

翌日の「輪島へ」②に続く…