こんにちは。日本共産党八尾市議会議員 田中裕子です。

能登ボラ 輪島へ…②

[2024.8.22] -[インフォメーション活動トピックス]

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翌日は羽咋市の支援センターから輪島の仮設へ。↑ ナビの画像の道が途中からのは気にしないでください

 

それがすっごい道路事情!まさに仮復旧。まるでジェットコースターのように上下に車がバウンド。路肩は崩れているなど想像以上の悪路。

 

トンネルを越えると崖崩れの光景から始まり、住宅が次々と倒壊してる光景が…。中心地に行くと朝イチのあったところは火災現場が生々しく残っていました。

 

もう、8ヶ月もたっているのに、これでは復興の展望が…。心が折れないようにするにはどうしたらいいのか…と感じてしまいました。

 

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奥に見えるのは、新聞やテレビでよく見る倒壊したビル。

 

仮設住宅にも訪問しました。

 

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ちょうど集会場に集まっておられたので、物資のお渡しができました。

 

ボランティア協会が、週一回ほど仮設を訪問し、体操やゲームなどされているところに遭遇!見学もさせていただきました。輪島の仮設は、コミニティーを大切にされているようです。集会場も建てておられました。

 

ただ、人手の関係で全ての仮設は回れてないとのこと…。このような取り組みは本当に入居者にとって必要だと感じました。

 

また、給付金のことを訪ねられる方も。市役所に電話したが、よく理解ができなかったということだった。説明をし、給付対象の可能性が高いことを発見。市役所に直接行ってみることになりました。 複雑そうな説明文で、っ字が多いっ!

 

もっとわかりやすく周知徹底できないものか。

 

ここの仮設に入居されている方で「高齢者用のおしめありますか」と訪ねに来られた方が…。

 

今回、おしめは積んでいなかったので、お詫びを申し上げてトイレットペーパーならある旨をお伝えし、かさばるので一緒に運んで行きました。

 

「元旦に地震にあって、火災に遭い、3歳から90歳まで8人で逃げ出しました。それから家族3人で転々として、ようやく仮設にたどり着きました。」とこぼれるようにお話をされました。

 

「夫は足が不自由で母は半分寝たきりです。今は私が仕事を失って、2人の介護をしています」と。お聞きするだけでも大変な状況の上に仮設住宅なので苦労もひとしおだとだと感じました。

 

しかし、やっと仮設に入れて落ち着いた、よかったと。今までどんなに苦労されてきたか…。

 

1回や2回では、被災地の状況を理解したり受け止めることはできないということを前提に今回の感想。

 

これだけ多くの震災を経験していて、なぜそれがいまだに生かされていないのか。生かしたくても人手が足りないというジレンマ。

 

そして行政の姿や職員の姿が見えてこないこと。なぜなんだろう。

 

日頃から行き届いた行政サービスや見守りがあってこそ、震災時にも活かせる。日頃から貧しい瀬作では震災時には真っ先に困難者から切り捨てられる。

 

万博・カジノや軍事には湯水のように税金を使い、特定の企業が大儲けをする…。

 

その一方で、手間暇のかかる震災からの復旧や復興には十分な方針や人手や物資や予算が組まれているとは思えない。

 

やっぱり今の裏金政治に始まる腐敗した政治を変えていかないと。

 

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最後に、奥能登って何て美しいのだろう。日本の国土は隅々まで美しい、そして人の営みがあり、文化があり、生業がある。

 

地震のボランティアを通じての出会いだが、心に残る郷土・風土でした。この人に営みを効率化の名のもとで集約や切り捨てはさせてはならないと思いました。